其の千 いざ!「神武東征」の古戦場へ!!(続編)

その6 暗峠~橿原神宮編


今回のアップは2018年7月7日です。

 

(追記:2018年7月23日)

 

💖

 

2017年12月23日の天皇誕生日に訪れた

 

「神武東征」古戦場シリーズの続編となります。

 

先にそちらの記事から読まれますことをおすすめします。

 

  


さて『ストリートファイターⅤゼネラルストーリー』の暗号解読はまだ続きます。

 

 

今回はとても重要な役どころを担っている二人に焦点をあててゆきます。今回はこの二人の暗号を解き明かしつつ、記録を綴ってまいります。

 

ストリートファイターⅤゼネラルストーリー
ストリートファイターⅤゼネラルストーリー

 

この女の子はシャドルーにさらわれた天才ハッカー・リーフェンです。幼くても意志をしっかり持っている様子がうかがえます。

 

 

リーフェン「あの人を、『導く者』を探さなくちゃ」

 

 

彼女は誰かを探しているようです。「導く者」とは一体誰なのでしょう。

 

ストリートファイターⅤゼネラルストーリー
ストリートファイターⅤゼネラルストーリー

 

囚われの身?らしきリーフェンを助けてくれた若者がいました。彼は親切心からリーフェンを助けますが、どうやら見当違いだったようです。この若者は一体誰なのでしょう。

 

シャドルー研究所キャラ図鑑
シャドルー研究所キャラ図鑑

 

スマートで心やさしき彼の名は「ラシード」。中東の王子のようです。新しいもの好きの彼は好奇心が強く、自分よりも弱い存在と戦うことはあまり好きではないようです。

 

ストリートファイターⅤゼネラルストーリー
ストリートファイターⅤゼネラルストーリー

 

ラシード王子は、シャドルーにハッカーとして就職してしまった友人を探しに日本に来ていました。彼は中東の王子ですから用心棒が影のようにつきまとっています。彼の任務は王子を守ることのようです。

 

ストリートファイターⅤゼネラルストーリー
ストリートファイターⅤゼネラルストーリー

 

ラシード「へへっ、地球救っちまったな・・・」

 

 

「黒い月」を止める方法は、友人が設定したある秘密の暗号を入力することでした。ラシード王子は自分の名前を入力すると見事にクリアーし「黒い月」を止めることができました。そのおかげで「黒い月」の爆発はまぬがれ、サイコパワーの増大も制止することができました。

 

ストリートファイターⅤゼネラルストーリー
ストリートファイターⅤゼネラルストーリー

 

少女リーフェンが探していた『導く者』こそラシード王子でした。彼には隠された使命がありました。

 

ストリートファイターⅤゼネラルストーリー
ストリートファイターⅤゼネラルストーリー

 

それは、リュウさんと表裏一体となって地球を救うこと。

 

 

ラシード王子が「導く者」でリュウさんが「『火と水』を等しく湛えた者」。

 

ストリートファイターⅤゼネラルストーリー
ストリートファイターⅤゼネラルストーリー

 

ラシード王子は「黒い月」を停止させ、リュウさんはベガ様を討つ(救う)ことこそ彼らに課せられた真の使命。

 

 

なぜならば、日本と中東は古代より結びつきが深く、つねに表裏一体の関係だからです。スメラとユダヤの統合なくして、ベガ様を討つ(救う)ことはできなかったのです。このことは『日月神示』に明確に記されています。

 

   

『日月神示』

 

光の巻

 

第六帖

 

(四〇二)

 


 今に世界の臣民人民 

 

誰にも判らん様になりて

 

上げもおろしもならんことになりて来て、

 

これは人民の頭や力で

 

やってゐるのでないのざといふこと

 

ハッキリして来るのざぞ。

 

何処の国、

 

どんな人民も成程ナアと

 

得心のゆくまで

 

ゆすぶるのであるぞ。

 

今度は

 

根本の天の御先祖様の御霊統と

 

根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが

 

一つになりなされて、

 

スメラ神国と

 

ユツタ(ユダヤ)神国と

 

一つになりなされて

 

末代動かん光の世と、

 

影ない光の世と致すのぢゃ、

 

今の臣民には見当とれん

 

光の世とするのぢゃ、

 

光りて輝く御代ぞ楽しけれく。

 

悪い者殺してしまふて 

 

よい者ばかりにすれば、

 

よき世が来るとでも思ふてゐるのか、

 

肉体いくら殺しても魂迄は、

 

人民の力では何うにもならんであろがな。

 

元の霊(たま)まで改心させねば、

 

今度の岩戸開けんのぢゃぞ、

 

元の霊(たま)に改心させず

 

肉体ばかりで、

 

目に見える世界ばかり、

 

理屈でよくしようとて出来はせんぞ、

 

それ位 判って居らうが、

 

判りて居り乍ら他に道ないと、

 

仕方ないと手つけずにゐるが、

 

悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、

 

悪は改心早いぞ、

 

悪神も助けなならんぞ、

 

霊(たま)から改心させなならんぞ、

 

善も悪も一つぢゃ、

 

霊も身も一つぢゃ、

 

天地(アメツチ)ぢゃと

 

くどう知らしてあろが。

 

何んなよいこと

 

喜ばして知らしても、

 

聞かせても、

 

今の臣民人民 

 

中々云ふこときかんものぢゃぞ。

  

この道にゆかりある者だけで

 

型出せよ、

 

カタでよいのぢゃぞ。

 

六月三十日、ひつぐの神。

  

      

 

筆者、神武天皇も歩いた「暗がり峠」を歩く!!


さて、2018年6月30日にある深い気づきが起きまして、ひとり静かに涙しておりました。それは、神武天皇を愛の思いで包み、寄り添うことでした。そのとき「暗峠」が何度も脳裏に浮かんできました。

 

 

(ああ、やはり暗がり峠はスルーできなかったようですね・・・)

 

 

昨年の天皇誕生日の日に執り行われた枚岡神社での「天の岩戸開き神事」では、宮司様がこうおっしゃっていました。

 

 

「神武天皇様が

 

大和平定するにあたって

 

生駒山入りされた際に、

 

ナガスネヒコという強い豪族に

 

阻まれてしまいました。

 

そこで今度は

 

熊野から吉野に入り

 

「暗がり峠」を通って

 

枚岡の神様・

 

天児屋根命様をお祀りして、

 

大和平定することができました」と。

 

 

そのとき「暗峠」のキーワードに、ギク(゚A゚;)ッ!!!! としたのです。宮司様のおっしゃった「神武天皇様が暗がり峠を通ってこられた」という言葉に異常に反応している自分がいました。

 

 

なぜならば「暗峠」がどんなに過酷な峠道なのかを知っていたからです。そして、その峠道をもしかしたら歩くことになるかもしれない予感がしていたからでした。

 

金剛生駒紀泉国定公園案内図(筆者撮影)
金剛生駒紀泉国定公園案内図(筆者撮影)

 

2018年も半分が終わろうとしていた時に、脳内に赤ランプがついたかのように「暗峠」が点滅してしまったわたしは、もう腹をくくるしかないと思い、その翌日に行ってきました。暗峠またの名を「酷道308号線」に。

 

暗峠案内標識(筆者撮影)
暗峠案内標識(筆者撮影)

 

この日は2018年7月1日。大阪府と奈良県の県境に位置する生駒山を超える峠道。日本有数の急勾配で狭隘路「暗峠」はれっきとした国道308号線であり大阪枚岡奈良線という名称があります。自動車の方はこの看板の案内の通り、狭すぎていきなりう回路からスタートです。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

筆者は徒歩なので、堂々と本道のスタート地点から歩くことにしました。ごらんのとおりコンクリート舗装の丸型の滑り止めが道全体を覆い尽くしています。すでにかなりの坂道ですが、これはほんの序の口なのです。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

この狭い道の両側には、民家が立ち並んでいます。この狭い暗がり峠は生活道路になっているのです。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

約10分ほど歩いたところに売店兼食事処があります。ここから先は売店も自販機もありません。ここでお水を買いました。ついでにこの橋を渡ってみます。

 

くらがね橋(筆者撮影)
くらがね橋(筆者撮影)

 

なんと懐かしい・・・。ここは子どもの頃、この川に入っていつも遊んでいた場所です。川に入ってさわがにを捕まえたり、橋の下で秘密基地を作ったりしました。ここ一帯の森林は枚岡公園で桜や梅林があり、滝もあります。生駒山麓で生まれ育った筆者は、自然に恵まれた環境だったのだなあと今さらながらありがたく思いました。

 

枚岡公園(筆者撮影)
枚岡公園(筆者撮影)

 

ここ一帯がまさか日本神話の舞台となった場所など夢にも思いませんでした。学校の先生は郷土の歴史を何一つ教えてくださいませんでした。

 

 

子どものころから産土の神様や神話の神様と親しむ機会があれば、神様に恥じない生き方をしようと子どもながら日本人としての誇りを抱くことができたはずなのに・・・。

 

 

この国がいかに強力に封印されてきたかをあらためて思い知らされます。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

さて、気を取り直して暗峠に戻ります。あまりの急斜面に一瞬クラクラしますが、気合を入れて登ります。

 

 

今回は、筆者が子どものころからずっと秘めていたある思いをこのページのどこかで打ち明けようと思います。なぜか告白する時期が来たと観じたので。 (; ∀ )ドキドキ

 

歴史の道 暗峠 奈良街道(筆者撮影)
歴史の道 暗峠 奈良街道(筆者撮影)

 

ひたすら歩いていくと右手に面白い形をした碑が立っていました。刻印された碑文を読んでみました。

 

 

歴史の道 

 

暗峠 

 

奈良街道

 

枚岡の地は、

 

生駒山西麓の扇状地にあって、

 

縄文時代から集落が営まれ、

 

周辺には鬼塚遺跡など

 

多くの遺跡があり

 

中臣氏の祖神降臨したという

 

伝承の地です。

 

 

枚岡公園は額田山と

 

枚岡山にまたがる森林公園で、

 

府営公園になったのは

 

昭和十三年です。

 

またここは、

 

金剛生駒国定公園の一角で

 

元春日と呼ばれる

 

河内の一之宮の枚岡神社を中心に

 

梅林や桜広場があります。

 

 

松尾芭蕉の碑もありました。

         

松尾芭蕉句碑(筆者撮影)
松尾芭蕉句碑(筆者撮影)

 

松尾芭蕉句碑

 

江戸時代の俳人であり

 

紀行本『奥の細道』の著書として有名な

 

松尾芭蕉(1644~1694)は

 

伊賀国で生まれ、

 

生涯を旅にすごしました。

 

 

元禄7年(1694)、

 

病をおして伊賀を発った芭蕉は、

 

旧歴9月9日の

 

重陽の節句(菊の節句)に

 

奈良から大坂に向かって

 

暗峠を越えました。

 

そのとき詠まれたのが

 

「菊の香に くらがり登る 節句かな」

 

の句です。

 

この暗峠超えが

 

芭蕉最後の旅となり、

 

大坂に入って間もなく、

 

10月12日に亡くなりました。

 

(以下省略)

 

 

伊賀生まれの松尾芭蕉は旅する俳人でしたがその裏の顔は忍者(伊・甲賀茂)すなわち八咫烏です。「菊の香に」の「菊」は天皇を指しているのだろうと思われます。

 

 

生駒山を拠点に暗躍した楠正成も八咫烏です。生駒山で修行した修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)も神楽や神通力を体得していたため、ありとあらゆる情報網と人脈網を一手に束ねて裏で暗躍したようです。よって、山伏は古来よりスパイとしての役割を担っていました。

 

 

山が拠点となって活動した歴史上の人物の裏の顔は八咫烏だったようです。天皇の権力争いの実行部隊は彼らによるものですから日本の歴史の闇はとても深淵です。歴史の教科書の内容のほとんどが真実を隠した後世の創作といってよいでしょう。

 

 

「桜、鶴、菱、茨タブー」これらは実質日本を動かしてきた闇です。その頂点に「菊タブー」があるのです。

 

 

「菊の香に くらがり登る 節句かな」

 

松尾芭蕉

 

 

豊浦橋(筆者撮影)
豊浦橋(筆者撮影)

 

さらに歩いていくと、右手に「豊浦橋」がありました。渡ってみることにしました。

 

豊浦橋(筆者撮影)
豊浦橋(筆者撮影)

 

橋の下はハイキングコースになっているようでしたが、通行止めにされていました。川の水を触ってみたかったのですが、通れないようになっていました。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

坂の急勾配はごらんのとおりどんどんきつくなってまいります。心臓破りの熱中症コースですな~。この時点でかなりバテています。

 

 

神武天皇はこの暗峠を奈良・桜井から生駒山を越えて来られたのです。奈良から生駒までの暗峠も上り坂ですが、大阪側ほどきつくはなかったようです。大軍を引き連れての歩兵軍団の大移動。甲冑をつけていたのならこの峠道だけで戦力ガタ落ち確定です。

 

禊行場(筆者撮影)
禊行場(筆者撮影)

 

生駒山は霊山ですから暗峠の道すがらに宗教施設が点在しています。この鳥居の下にはお寺がありました。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

坂は続くよどこまでも。まだまだ続くよこれからも。・・・もうあかん・・・。体力持久力の滅法弱い筆者は何度くじけそうになったことか。

 

 

この道の模様をみるだけで嫌だった恒例の学校行事の暗峠の登山(年二回)。本気で休もうとしたこと数知れず。。まさか神武天皇が打倒ナガスネヒコへの執念を燃えたぎらせて通った道などつゆ知らず。まさかその道を今、こうして歩いているなんて・・・。

 

 

ニギハヤヒは十種の神宝を携えて天の磐船に乗って天孫降臨してきた神様だと神話にありますが、神武天皇は天孫とはいえ軍隊を引き連れてきた人間だったのでしょう。わざわざ苦労して六年間もかけて大和平定にきたのです。神様なら、こんな苦労はしなかったはずです。

 

 

「神武東征」は先住の神が守る土地を神武が平定し、初代天皇に即位するまでの英雄物語ですが、苦難に遭うたびに神武天皇はご先祖アマテラスに助けられるのです。

 

暗峠 石碑群(筆者撮影)
暗峠 石碑群(筆者撮影)

 

赤い鳥居の向こうには、八百万の神様がご鎮座ましましておられました。ご挨拶と感謝をお伝えしました。

 

暗峠 不動明王(筆者撮影)
暗峠 不動明王(筆者撮影)

 

その対岸にはお不動様がご鎮座ましましておられました。お不動様のうしろには川が流れていました。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「転がり峠」はますます傾斜が増し増してきたご様子。けれど今回ばかりは這いつくばってでも登らねばならぬのです。必携アイテム(水+岩塩)で微量にHP回復を繰り返しつつ坂を上ります。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

長年筆者の胸に秘めておいたこと。。。それはとても人には言えなかったこと。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

七五三のとき、枚岡神社で絵本をもらいました。二冊あったと思います。

 

最初に『天の岩戸神話』を、次に『因幡の白うさぎ』を読みました。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「おんなのかみさま、おひめさまあつかいしてもらいたかっただけ」

 

 

「おんなのかみさま、わがまま」

 

 

「おんなのかみさま、きらい」

 

 

「もうこのえほんいらん」

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「おとこのかみさま、かみさまやのにいじめられてはった」

 

 

「おとこのかみさま、おおきなにもつをせおっていっぱいはたらいてはる、えらいかみさま」

 

 

「うさぎさんをたすけてくれはったやさしいかみさま」

 

 

「このかみさまはきっとにんげんもたすけてくれはる」

 

 

「このかみさまはすき」

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「おんなのかみさま、かみさまのなかでいちばんえらいねんて。

 

 

いちばんえらいかみさまはなんでもできるんやろ?

 

 

せやのに、このせかいはなんでせんそうがあるの?

 

 

なんでたべられへんでしんでいくひとがおるの?

 

 

もしかしてこんなせかいをつくりたかったん?」

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「おんなのかみさまのこどものこどものこどものずーっとこどもがてんのうへいかやねんて。

 

 

せやからてんのうへいかはこのくにでいちばんえらいひとやねんで。

 

 

てんのうへいかがこのくにをつくったんやで。

 

 

ほな、なんでかねもちとびんぼうがおるん?

 

 

なんではたらくおとなとぱちんこであそんでるおとながおるん?

 

 

なんであこむやさんがあるん?

 

 

あこむやさんでおかねをかりたらなんでやくざやさんがくるん?

 

 

てんのうへいかはなんでもできるえらいひとなんやろ。

 

 

びんぼうなんかなくしたらええのに。

 

 

ぱちんこやさんなんかなくしたらええのに。

 

 

あこむやさんなんかなくしたらええのに。



やくざやさんなんかなくしたらええのに。」

 

 

あるようちえんじのこころのつぶやき

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「れきしのじゅぎょう、しょーもない。

 

 

じょうもん時代がいちばんいいのに、みんなはじょうもん時代をやばんやっていう。

 

 

先生はじょうもん時代をぜんぜん教えてくれへん。

 

 

しらんからやろな。

 

 

じょうもん時代は電気も石油もない時代やった。

 

 

その時代の生活をべんきょうしたら、かんきょうおせんを直せるのに。

 

 

じょうもん時代は物物こうかんやった。

 

 

お金なんかなかった。

 

 

あこむさやんもなかった。

 

 

会社に行かへんでもよかった。

 

 

そしたらお父さんも朝早くから夜おそくまで会社に行かへんでもええのに。

 

 

むかしのひとはえらかったって、おとなはいうけど

 

 

いっぱいはたらいたからえらかったんやろ?

 

 

先生、えらかったむかしのひとのくらしを教えてくれへん。

 

 

えらいのはきぞくなんやて。

 

 

しょみんはいちばんはたらいてえらいはずやのにみんなびんぼうぐらし。

 

 

きぞくひま。

 

 

ひまやのにえらそう。

 

 

きぞくいらん。

 

 

れきしのきょうかしょいらん」

 

 

ある小6女子のひとりごと。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「おんなのかみさま、自分から岩戸閉めた。

 

 

知ってて閉めた。

 

 

みんな困るとわかってたのに。

 

 

さんざんみんなを困らせたのに、

 

 

岩戸から出てきたときに

 

 

ありがたがらせた。

 

 

おんなのかみさま

 

 

あがめたてまつられたかった。

 

 

おとうとは悪者にされて

 

 

髪の毛もひげも切られて、

 

 

つめもはがされて追い出された。

 

 

おとうとを悪者にして追い出させたのは

 

 

おんなのかみさま。

  

 

でもおとうとはうらまなかった。

 

 

仕返ししなかった。

 

 

だからあめのむらくものつるぎを献上しに行ったのは

 

 

こんなにすばらしい宝物を

 

 

おねえちゃんにプレゼントしたら

 

 

きっとよろこんでくれると思ったから。

 

 

困らせたおわびの気持ちもこもってた。

 

 

なのにおんなのかみさま、武装した。

 

 

おとうとが仕返しに来たと思ったから。

 

 

おとうとをおそれていたから。

 

 

仕返しに来たと思ったのは、おとうとをいじめたから。

 

 

おとうとをおそれていたのは、おとうとがピュアだったから。

 

 

おとうとはただピュアだっただけ。

 

 

だからおとうとは最強だった。

 

 

わたし、姉だからわかる。

 

 

おとうとはこわくない。

 

 

スサノオはわるくない。」

 

 

とある女子高生のこころのつぶやき

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「おんなのかみさま、

 

 

いなばの白うさぎのかみさまがつくった国を欲しがった。

 

 

国がどろどろだったときには、見向きもしなかったのに。

 

 

いい国になった頃合を見て、それはわたしのものだと思い始めた。

 

 

自分は玉座にいて、

 

 

まずは長男を遣わせて国ゆすりに行かせた。

 

 

長男、

 

 

出雲の民に追い返されて尻尾を巻いて逃げ帰った。

 

 

おんなのかみさま、

 

 

今度は次男を遣わせて国ゆすりに行かせた。

 

 

いなばの白うさぎのかみさま、

 

 

次男を宮殿で丁重にもてなして

 

 

美しい女性をめとわせて一緒に国造りしないかと誘った。

 

 

次男、

 

 

その誘いに感激してがぜんやる気になった。

 

 

奥さんと子どもに恵まれて、

 

 

こんな幸せな暮らしを捨てて帰りたくないと出雲に居座った。

 

 

おんなのかみさま、

 

 

次男が帰ってこない理由を知って

 

 

別のしもべを遣わせた。

 

 

いなばの白うさぎのかみさま、

 

 

そのしもべに美しい自分の娘をめとわせて

 

 

たいそうしあわせにしてやった。

 

 

そのしもべ、

 

 

こんなありがたいことはないとよろこんで、

 

 

家族を作って出雲に住み着いた。

 

 

おんなのかみさま、

 

 

帰ってこないしもべに占いの矢を放った。

 

 

しもべに課せられた使命を果たしていなければ

 

 

いのちを奪う魔法をかけて。

 

 

しもべ、

 

 

いのちを奪われた。

 

 

みんな、

 

 

家族と幸せにしていたしもべが死んだことを悲しんだ。

 

 

それでも国ゆすりは終わらない。

 

 

おんなのかみさま、

 

 

こんどはゆすりではなくたかりに行かせた。

 

 

いなばの白うさぎのかみさま、

 

 

たたかわない。

 

 

そんなに国が欲しいのなら、

 

 

さぞかしすばらしい国にしてくれるのだろうと

 

 

結局国を譲ることにした。

 

 

そのかわり、

 

 

出雲の国に天にそびえる立派な社を作ってくれることを約束して。

 

 

みんなが幸せだった人間界は

 

 

おんなのかみさまが治めるようになった。

 

 

さて、

 

 

みんなのくらしはどんなふうになったのでしょう?

 

 

ちなみに、

 

 

いなばの白うさぎのかみさまとの約束は、

 

 

まだ果たせていない。」

 

 

~題名『国ゆすり神話』~

 

 

とあるすみっこしゅふのつくりばなし

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

「『くにゆすり』は、

 

 

こっかせんりゃく。

 

 

『くにづくり』という

 

 

一からつくるほうほうをしらなかったから。

 

 

あるものをうばう。

 

 

それが、かれらのせいぎ。

 

 

うらやましい。

 

 

ねたましい。

 

 

うばいたい。

 

 

そのおもいが、かれらをつきうごかした。

 

 

かれのどうぐは、ぐんたい。

 

 

とくいわざは、おどし、こわがらし、だましてうばう。

 

 

うばいとるのはつよいこと。

 

 

うばわれるのはよわいこと。

 

 

うばっててにいれたほうがしょうしゃ。

 

 

うばわれてまけたほうは、ごいむ。

 

 

ごいむはみなごろしにされるべきなのだ。

 

 

ごいむのリーダーをバラバラにしてうめておけ。

 

 

のこったごいむはころされなかっただけ、ありがたくおもえ。

 

 

そのかわり、ごいむはおれさまのためにはたらくのだ。

 

 

はーっはっはっは。

 

 

すべてはおれさまのものだ。

 

 

わーっはっはっは。

 

 

おれさまをあがめたてまつれ。

 

 

はーっはっはっは。」

 

 

とあるごいむのもうそう。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

ごらんあれ!これぞ酷道ゆえん日本一の傾斜なり!! ここは暗峠で最大勾配なのです。後から来たクルマがアクセルべた踏みでゆ~~~っくりここを上がっていきました。

 

 

歩いていて思ったのは、よくぞこの道を舗装してくださったということ。きっと手作業だったと思います。大変なお仕事をしてくださったおかげで、わたしたちは安全に歩くことができるのです。本当に感謝です。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

スタートから1時間15分。気温30度。ヤバいくらいばててます。ひらすら急勾配の道をひた登る。これは想像以上に過酷でした。

 

 

前々回に生駒山中にある「神武天皇孔舎衛坂聖蹟顕彰碑」まで登山したときよりず~~~っとキツかった~!!(;´д`)ヘトヘト…

 

 

実はこの地点で山頂まであと三分の一あります。神武天皇はここから「神津嶽」に向かうルートを歩いたのです。

 

 

「神津嶽」は神武天皇が枚岡の神様をお祀りした奥の宮です。上の写真の道しるべに案内があります。その「神津嶽コース」へ続く道が封鎖されていました。仕方なく、来た道を戻ることにしました。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

神武天皇は、宇陀でエウカシを倒し、桜井で土蜘蛛ら全員を食事に招いて背後から惨殺して滅ぼした後、歌を歌いながら暗峠とおって神津嶽を目指します。

 

 

『古事記』に神武天皇が詠んだ歌が残されていますから、紹介していきますね。

 

宇陀うだの 高城たかきに 鴫罠しぎわな張る

 

 我が待つや 鴫はさやらず 

 

いすくはし 鯨さやる 

 

前妻こなみが 菜乞はさば 

 

たちそばの 実の無けくを こきしひゑね 

 

後妻うはなりが 菜乞はさば 

 

いちさかき 実のおほけくを こきだひゑね 

 

ええ しやこしや こはいのごふぞ 

 

ああ しやこしや こはあざわらふぞ

 

 

【通釈】

 

宇陀の高台に、鴫を獲ろうと罠を張る。

 

俺が待ってると、鴫は掛からず、りっぱな鯨が掛かった。

 

さあ、皆に御馳走だ。

 

古女房がおかずに欲しがったら、

 

ソバの木の実のように中身の無いのを、たっぷり切ってやれ。

 

新しい女房がおかずに欲しがったら、

 

ヒサカキの実のように大きいのを、たっぷり切ってやれ。

 

ええい、ばかものめざまあみろ、これはののしっているのだぞ。

 

あっはっは、ばかものめざまあみろ、これはあざ笑っているのだぞ。

 

 

※兄宇迦斯(えうかし)を倒したあと、

 

弟宇迦斯(おとうかし)によって献上された御馳走を

 

兵士らに賜わった時に詠んだ歌。 

      

  

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

みつみつし 久米の子等が 粟生あはふには

 

臭韮かみら一茎ひともと そ根がもと 

 

根芽ねめつなぎて 撃ちてしやまむ

 

 

【通釈】

 

いさましい久米の者どもの、

 

粟の畑には臭い韮が一本。その韮じゃないが、

 

根元も茎もいっしょに、やっつけずにおるものか。

 

 

※打倒ナガスネヒコを詠んだ歌。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

みつみつし 久米の子等が 垣下かきもとに 

 

植ゑしはじかみ 口ひびく 

 

われは忘れじ 撃ちてしやまむ

 

 

【通釈】

 

いさましい久米の者どもの、

 

陣営の垣の下に植えた山椒。

 

その山椒じゃないが、

 

口がひりひりするような恨みを俺は忘れないぞ。

 

やっつけずにおるものか。

 

 

※打倒ナガスネヒコを詠んだ歌。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

神風かむかぜの 伊勢のうみの 大石おひしには

 

ひもとほろふ 細螺しただみの 

 

ひもとほり 撃ちてしやまむ

 

 

【通釈】

 

神風が吹く伊勢の海の、

 

大岩にびっしり這いまつわってる、

 

細螺(しただみ)のように敵を隙間なく囲んで、

 

やっつけずにはおるものか。

 

 

※打倒ナガスネヒコを詠んだ歌。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

神武天皇はアマテラスの5代子孫にあたる伝説上の天皇とされています。けれど日本人の集合意識には存在していて天皇を語るうえで欠かせない存在となっています。なぜならば、

 

 

神武天皇が存在しなければ、歴代天皇も存在しない。

 

 

アマテラスが存在しなければ神武天皇も存在しない。

 

 

アマテラスの存在なくしてこの国は存在しないからなのです。

 

 

神武天皇はどうしてもこの国の王様になりたかった。

 

 

王様のいなかったこの国で、はじめての王様になりたかった。

 

 

アマテラスは一度岩戸に隠れて、ふたたび現れた神様。

 

 

神々の上に立ってあがめたてまつられた女神さま。

 

 

神武天皇は、人の上に立って神としてあがめられた最初の人。

 

 

さて、アマテラスとはいったい誰なのでしょう。

 

 

神武天皇とはいったい誰なのでしょう。

 

 

わたしは神武天皇の歌を読んだとき、ある「歌」がひらめいたのです。

 

 

その歌を実際にお聞きください!! どうぞ~~(^^♪

 

 

ジン、ジン、ジン、ジンム、デスカ~?

 


草原の風のごとく馬を走らせる幾千もの兵隊


先頭を駆ける男こそジンギスカン!


地を鳴らす馬蹄の音と共に


あらゆる場所に不安と恐怖を運ぶ


稲妻も彼らを止めることはできない

 


*1:
ジン、ジン、ジンギスカン


ヘイ、騎兵たちよ! ホウ、騎兵たちよ!


ヘイ、騎兵たちよ! 進め!


ジン、ジン、ジンギスカン


*2:
奮い立て兄弟ども、飲め兄弟ども、


戦え兄弟ども、何度も!


もっとウォッカを持ってこい!


俺たちはモンゴル人だからな!


飲んだらまた悪魔の腕の中だ

 


(*1)


*3:
ヘイ、兵隊たちよ、ホウ、兵隊どもよ


踊れ、兵隊どもよ、いつもどおりにだ


奴の高笑いが聞こえる


だんだん大きくなる


そして奴は一気に飲み干す



気に入ったブツは全部テントに奪い取る


彼を嫌いになる女なぞ この世に居ない


一晩で7人の子種を仕込み


仇にはあざ笑うのみ


彼の力には誰も立ち向かえないから

 
(*1)(*2)(*1)

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

わたしはこの世界が乱れた原因は、神様の世界が乱れたことが原因だということに気がついていました。神様は、自力で答えを出したときに、正解を教えてくれるようです。その答えを以下に掲載しました。

 

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

 

『日月神示』

 

碧玉の巻

 

第十帖

 


 岩戸しめの始めは

 

ナギ(伊邪那岐命)

 

ナミ(伊邪那美命)の

 

命の時であるぞ、

 

ナミの神が火の神を生んで

 

黄泉国に入られたのが、

 

そもそもであるぞ、

 

十の卵を八つ生んで

 

二つ残して行かれたのであるぞ、

 

十二の卵を十生んだことにも

 

なるのであるぞ、

 

五つの卵を四つ生んだとも

 

言へるのであるぞ、

 

総て神界のこと、

 

霊界のことは、

 

現界から見れば

 

妙なことであるなれど、

 

それでちゃんと

 

道にはまってゐるのであるぞ。

 

一ヒネリしてあるのぢゃ、

 

天と地との間に

 

大きレンズがあると思へば

 

段々に判りてくるぞ。

 

夫神、

 

妻神、

 

別れ別れになったから、

 

一方的となったから、

 

岩戸がしめられたのである道理、

 

判るであろうがな。

 

その後、

 

独り神となられた夫神が

 

三神をはじめ、

 

色々なものを

 

お生みになったのであるが、

 

それが一方的であることは

 

申す迄もないことであろう、

 

妻神も同様、

 

黄泉大神となられて、

 

黄泉国の総てを

 

生み育て給ふたのであるぞ、

 

この夫婦神が、

 

時めぐり来て、

 

千引の岩戸をひらかれて

 

相抱き給う時節来たのであるぞ、

 

うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。

 

同じ名の神が到るところに

 

現はれて来るのざぞ、

 

名は同じでも、

 

はたらきは逆なのであるぞ、

 

この二つがそろうて、

 

三つとなるのぞ、

 

三が道ぞと知らせてあろうがな。

 

時来たりなば

 

 この千引の岩戸を倶にひらかんと

 

申してあろうがな。

 

次の岩戸しめは

 

天照大神の時ぞ、

 

大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、

 

ダマシタ岩戸からは

 

ダマシタ神がお出ましぞと

 

知らせてあろう。

 

いよいよとなって

 

マコトの天照大神、

 

天照皇大神、

 

日の大神、

 

揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

 

次の岩戸しめは

 

素盞鳴命に総ての罪をきせて

 

ネの国に追ひやった時であるぞ、

 

素盞鳴命は

 

天下(あめがした)を治しめす

 

御役(おんやく)の神であるぞ。

 

天ヶ下(あめがした)は

 

重きもののつもりて

 

固まりたものであるから

 

ツミと見へるのであって、

 

よろづの天の神々が積もる

 

(と言ふ)ツミ(積)を

 

よく理解せずして

 

罪神と誤って了ったので、

 

これが正しく岩戸しめであったぞ、

 

命(みこと)をアラブル神なりと

 

申して伝へてゐるなれど、

 

アラブル神とは

 

粗暴な神ではないぞ、

 

あばれ廻り、

 

こわし廻る神ではないぞ、

 

アラフル(現生る)神であるぞ、

 

天ヶ下、

 

大国土を守り育て給う神であるぞ、

 

取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。

 

このことよく理解出来ねば、

 

今度の大峠は越せんぞ。

 

絶対の御力を発揮し給ふ、

 

ナギ、ナミ両神が、

 

天ヶ下を治らす御役目を命じられて

 

お生みなされた尊き御神であるぞ。

 

素盞鳴の命にも二通りあるぞ、

 

一神で生み給へる御神と、

 

夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と

 

二通りあるぞ、

 

間違へてはならんことぞ。

 

神武天皇の岩戸しめは、

 

御自ら人皇を名乗り給ふより

 

他に道なき迄の御働きを

 

なされたからであるぞ。

 

神の世から人の世への

 

移り変りの事柄を、

 

一応、

 

岩戸にかくして

 

神ヤマトイハレ彦命として、

 

人皇として

 

立たれたのであるから、

 

大きな岩戸しめの一つであるぞ。

 

仏教の渡来までは、

 

わずかながらも

 

マコトの神道の光が

 

さしてゐたのであるなれど、

 

仏教と共に仏魔わたり来て

 

完全に岩戸がしめられて、

 

クラヤミの世となったのであるぞ、

 

その後はもう乱れほうだい、

 

やりほうだいの世となったのであるぞ、

 

これが五度目の

 

大き岩戸しめであるぞ。

 

      

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

さて、神武天皇は、大和国(ひのもとのくに)こそ中州(世界の中心)と見定め、大和を平定する必要性を訴え、その協力を仰ぐため、枚岡の神様に会いに行きます。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

枚岡の神様は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)様。そのお役割は、天孫補弼(てんそんほひつ)。すなわち天孫をお助けすること。アマテラスに命じられて、その子孫をサポートされる御役を担われた神様です。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

そして、天児屋根命様は「神事宗源」の神様でもあります。ご神事を司る神様です。神道奥義は、「天の岩戸開き」です。この神様のご協力なくして、大和平定することはできないと知っていた神武天皇は、枚岡の神様を神津嶽(かみつたけ)でお祀りされるのです。神武天皇ご即位三年前のことでした。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

暗峠を登って降りて膝が((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルになりながら、枚岡神社にご参拝しました。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

思えば産土の神様である枚岡神社から絵本をいただいたことが、神様の世界を知るきっかけだったのだなあと思い至ります。

 

 

けれど、ちょうど一年前までまったく神様のことに関心がありませんでした。神様関連の本など、手に取ったこともありませんでした。それくらい無知だったのです。

 

 

それが、ストリートファイターシリーズを読み解いていくにつれて、神様の世界が隠されていたことに気が付き始めたのです。その実体験の記録として暗号解読シリーズを書いてきました。

 

 

子どものころから変わった子だと言われたくなくて普通に振る舞ってきましたけれど、心の中はいつもこの世界の方が変な世界で、大人の方が変な人に見えていました。

 

 

今は変な世界をおもしろく見ています。変な大人も愛すべき人に思えます。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

鹿さんは神様の遣いです。元春日にはやはり鹿さんが守っておられました。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

「なで鹿」さんですから、親子の鹿さんになでなでしました。子どもの頃はいつもこの鹿さんになでなでしていたことを思い出しました。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

茅(ち)の輪だ! 実際に見たのはこれがはじめてです。この輪っかをくぐると無病息災なのだそうです。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

「蘇民将来」といえばスサノオです。人に親切にしていればスサノオが疫病から守ってくださるのです。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

去年の天皇誕生日に、ここで「天の岩戸開き神事」が執り行われたのでした。そのエピソードはここに書きました。

 

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

 

産土の神様とのご縁とお導きにあらためて神恩感謝しました。

 

金剛生駒紀泉国定公園案内図(筆者撮影)
金剛生駒紀泉国定公園案内図(筆者撮影)

 

そして神武天皇は、枚岡から石切の方へ大軍を引き連れて「神武東征」のクライマックスを迎えるのです。そのエピソードはここに書きました。

 

 

「いざ行かん!憎きナガスネヒコを討ち取り、ニギハヤヒへの国ゆすりへ!!」ザッザッザッザ。

 

近鉄奈良線 石切駅に向かう(筆者撮影)
近鉄奈良線 石切駅に向かう(筆者撮影)

 

そして、悲願の大調和のひのもとの国(大和国)を手に入れた神武天皇は、橿原の宮で初代天皇として即位します。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

 新しき王は平和と安全を願いました。

 

 

それは「一族にとっての」平和と安全でした。

 

 

なぜなら、自分もいつかはうばわれるのではないかとつねに心配だったからです。

 

 

そのために、つねに武装していなければなりませんでした。

 

 

平和ということばは、戦争ということばがあってはじめて存在する。

 

 

だからこの相対する概念は実はひとつ。

 

 

戦争がなければ、平和という言葉も存在しない。

 

 

わたしたちは、戦争という体験をして、平和とは何かを学んでいたのです。

 

 

それを教えてくださったご存在のおかげで学ぶことができたのです。

 

 

わたしたちのたましいは、体験したくてここに来ている。

 

 

だからどんな体験も、感謝しかないのです。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

明治政府による戦争ムード満載の最中に建てられた橿原神宮は、ご鎮座されて130年という新しさにビックリです。思わず二度見しました。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

「平成三十二年四月二日」

 

 

平成は三十一年四月三十日で終わります。なぜ「平成三十二年四月二日」なのでしょう。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

整然とした美しさは、人の手が加えられた箱庭の美。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

まるで皇居に向かうような面持ちで鳥居をくぐりました。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

思えば日の丸もまた、この国の新しきシンボル。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

新しきたたずまいは、まるでコマーシャルに出てくる〇〇ハウスを思わせられます。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

神武天皇からはじまった天皇時代は2678年間続いてきました。世界一長く続いている国(王朝)です。

 

 

けれどもそれ以前は、1万7000年も続いていた。それ以前にもいくつも文明があったのです。その痕跡が発見されているにもかかわらず、一切だんまりを決め込んでいるのが日本という国なのです。

 

 

なぜなら、太古の時代にもスメラミコトは存在していたから。

 

 

それは日本人には知られたくないもっとも封印しておきたいことだから・・・。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

「『てんのうへいかばんざーい』はおかしいのとちがう?

 

 

『したにー、下に』とちがうん?

 

 

『てんのうへいかばんざーい』って、

 

 

これ以上ないほど頭が高いやん。

 

 

あんなことしたら、

 

 

『頭が高い、ひかえおろう!』

 

 

って、お侍さんに成敗されるやん。

 

 

あ、そういえば、お侍さんはもういなくなってしまってたわ。

 

 

お侍さんはもう、この国にはいないんやなあ・・・。』

 

 

とある見習い学生のつぶやき。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

この国で最も古いとされる戦争は、神話時代の「神武東征」です。

 

 

ニギハヤヒはナガスネヒコを東北に逃がして戦争を回避し、国を譲りました。

 

 

ナガスネヒコは東北で「ひたかみのくに(日上国)」をつくりました。

 

 

「ひのもとのくに(日下国)」でニギハヤヒとつくった大和(やまと)の文化を東北の地で守り続けたのです。子孫・アテルイの時代(800年ごろ)まで。

 

 

神武天皇の子孫・桓武天皇は、ナガスネヒコの子孫アテルイから「ひたかみのくに」をうばいました。

 

 

大祓詞(おおはらえのことば)の祝詞にこうあります。

 

 

「おおやまと ひたかみのくにを やすくにと さだめまつりて」

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

アマテラスの国ゆすりにより、国づくりをしてきた大国主は国をゆずりました。

 

 

神武天皇の国ゆすりにより、国づくりをしてきたニギハヤヒは国をゆずりました。

 

 

アマテラスは神武天皇。

 

 

大国主はニギハヤヒ。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

「しーたのほんとうのなまえは、りゅしーた・とえる・うる・らぴた。

 

 

むすかのほんとうのなまえは、ろむすか・ぱろでぃ・うる・らぴた。

 

 

しーたはにぎはやひ。

 

 

むすかはじんむ。

 

 

ぱずーはながすねひこ。

 

 

らぴたびとはじょうもんじん。

 

 

そらからふってきたしょうじょはてんそんこうりん。

 

 

ばるすはすばる

 

 

すばるはすべる。

 

 

ちきゅうはまわる きみを かくして」

 

 

理想の彼氏はぱずーだったむかしの女子中学生のひとりごと。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

もしも許されるのなら、本当の歴史書を書いてみたい。

 

 

ねつ造、虚飾、改ざん、隠ぺいという「創作」ではない真実を。

 

 

見たくない、見せたくない、つらく厳しいことも隠さずにありのままを書く。

 

 

それは神の目を通した目線。

 

 

三人称視点は神の視点。

 

 

『日本書紀』は三人称視点で書いていない。勝者の視点で書かれているから。

 

 

けれど今の日本人が真実をどれだけ受け止められるだろう。真実を目の当たりにすることの準備ができていない方々には、とうてい受け入れられないだろう。

 

 

けれどたましいを揺さぶることはできる。それがきっかけでたった1%の日本人が目覚めれば、また誰かを目覚めさせることができるかもしれない。

 

 

そして、目覚めない自由も宇宙から与えられている。

 

 

けれど現在はもう最終輪廻のタイムリミット。肉体を持たされたのは今生で最後。どんなにあがいても、今生で最後なのです。

 

 

わたしたちはやり残したことが山積みであることに気が付いた時点で、即実践することが何よりも大事だったと気づかされるのです。

 

 

神と人。霊と肉が一体になってはじめて、魂の進化が可能であったのだと。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

日本神界を統べる御神業師様は、「わたしに降ろされた神々からの莫大な情報は、わたしの全人生をもってしても書ききることはできないくらいの膨大なものです」とおっしゃいました。

 

 

そして「現時点で人類に伝えられることを許されているのは、大海の水のひと匙ほどです」とも。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

わたしは思う。現代人に必要な情報量など、ごくわずかでいい。

 

 

「うそをつかない。だまさない。うばわない。しはいしない。よごさない。ぼうりょくをふるわない。おごりたかぶらない。」

 

 

「しょうじきでいる。しんせつにする。よろこばせる。あたえる。たすける。せいけつにする。かんしゃする。けんきょになる」

 

 

これでも多いくらい。

 

 

「やったことは自分にかえる」という法則を知ること。そして「かんしゃする」ということ。

 

 

今の人類には、このふたつだけでも実践できたら御の字。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

日本神界の神々は、女性天皇の即位を猛反対しておられました。

 

 

わたしはそのとき、ある言葉が思い浮かびました。

 

 

「めんどりが時を告げれば国が滅びる」

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

カモさん夫婦があいさつにきてくれました。ごはんをもってくればよかったね。

 

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

 

亀さんもお顔を見せてくれました。

 

神武天皇御陵(筆者撮影)
神武天皇御陵(筆者撮影)

 

橿原神宮のすぐ横に神武天皇御陵がありました。ここは古墳もなくてただの盛り土だけなのだそうです。

 

 

伝説の天皇は、長らくひっそりと祀られていただけだったのですが、明治の時代に突如英雄としてもてはやされたのでした。それが紀元2600年記念行事。

 

 

明治政府は宗教弾圧、神社合祀を推し進め、昭和15年には神武天皇ゆかりの地に「神武天皇聖蹟顕彰碑」を建設するにともない、日本は戦争へと突き進んでいったのでした。

 

神武天皇御陵(筆者撮影)
神武天皇御陵(筆者撮影)

 

2018年より人間選別がはじまると御神業師さまは教えてくださいました。

 

 

神々の世界は和合されます。そのご神事の際、縄文、弥生、歴代天皇の御霊がご同席されたことが、その御意思の表明だったとかんじます。これぞ神界の「完成」なのだと思いました。

 

 

神々さまそれぞれの御立場のお役割をまっとうされるのです。そのタイミングに日本人として生まれさせていただいたことに、本当に深い感謝を抱かずにはいられません。

 

 

そしてわたしはなぜ、その場所にいたのでしょう。たった数名で執り行われた重大なご神事の場に、なぜわたしはなにも知らされずに導かれたのでしょう。

 

 

そして、わたしはなぜこのような記事を書いているのでしょう。

 

 

ストⅡのリュウさんをはじめて見たときに、脳天に稲妻が落ちたかのような衝撃を感じたのは、いま=未来を感じていたから?

 

 

もしも対話できるのなら問いてみたい。

 

 

リュウさんはなぜ、わたしにインスピレーションを与えてくれたの?

 

 

リュウさんは、自分に込められていた暗号を解いてほしかったの?

 

 

春麗さんと出会える日を待っていたの?

 

 

封印された魂のかたわれを探し出し「火と水」の統合を果たして、闇の支配者を抱き参らせる。これがこのゲームに込められた神のシナリオ。

 

 

それは和合することこそが日本人に与えられた真の使命であったことを思いださせるための「神しくみ」。

 

藤原京跡(筆者撮影)
藤原京跡(筆者撮影)

 

橿原神宮を出た後、藤原京跡を通りました。

 

藤原京跡(筆者撮影)
藤原京跡(筆者撮影)

 

この広大な土地に、かつての女帝・持統天皇が藤原京をつくったのです。

 

藤原京跡(筆者撮影)
藤原京跡(筆者撮影)

 

持統天皇は、女性天皇としての地位を確たるものにするために、天照大神をニギハヤヒからオオヒルメにすり替えて書かせました。そしてニギハヤヒの手によってナガスネヒコは惨殺されたことにしたのです。それが『日本書紀』。そして瀬織津姫を封印したのでした。

 

 

2018年7月23日追記:

 

わたしは小5のときに大阪府四條畷市に引っ越したのですが、先日気になる地名を通ったので調べてみました。「讃良」という地名です。

 

 

 

たしか、持統天皇の幼少名が「うののさらら」だったはずだとピンときたのです。それで四條畷市のホームページを調べてみましたらやはり・・・!

第41代天皇である持統天皇は、四條畷とかかわりの深い天皇でした。

 

天皇は名を鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)といいます。

 

このうち「讃良」は、

 

四條畷市全域と寝屋川市・大東市の各一部を含む

 

古代「讃良(さらら)郡」の地名からとられたものです。

 

また、「鸕野」も、『日本書紀』によれば讃良郡の中にある地名として

 

「鸕鷀野邑(うののさと)」が出てきます。

 

この地名は、市内の清滝にあった古代寺院正法寺にのちにつけられた山号が

 

「小野山(おのさん)」であることなどから、

 

現在の四條畷市域の一部を指すのではないかといわれています。

 

このように地名を皇族の名に使う場合、

 

その地で生まれ育ったか、領地をもっていたか、

 

その地出身の豪族から乳母が出たためその豪族に養育された

 

といった理由が考えられると言います。

 

いずれにしても、

 

持統天皇の名には四條畷市域のこととみられる地名が使われており、

 

四條畷とゆかりの深い天皇だったと言えるでしょう。

 

(以上、四條畷市HPより引用)

四条畷市周辺地図
四条畷市周辺地図

 

やはり「讃良」は持統天皇ゆかりの地名でした。この讃良のすぐ近くにイオンがありまして、ここから生駒に向かって写真を撮りました。このごく狭い地図に役者がすべてそろっている奇妙な偶然。

 

讃良付近から生駒方向を望む(筆者撮影)
讃良付近から生駒方向を望む(筆者撮影)

 

持統天皇がこの土地で過ごした史実が確かにある。ニギハヤヒがご降臨された天の磐船が磐船神社の御神体であり、そのすぐ近くにナガスネヒコ本拠の碑があります。

 

 

ニギハヤヒとナガスネヒコの伝承の地すぐ近くに持統天皇は住んでおられたのです。きっと『古事記』の「神武東征」も熟知されていたはず。

 

磐船神社御神体(筆者撮影)
磐船神社御神体(筆者撮影)

 

持統天皇の人生は、生まれたときから権力争いの渦中にいました。大変な人生だったと思います。天皇家の血統の争いのもとをたどれば「神武東征」にたどり着きます。

 

 

持統天皇にとってのご先祖様は神武天皇です。人として天下った神武天皇にとっての最大のかたきはナガスネヒコでした。古代大和の国のスメラミコトはナガスネヒコだったとする説もあります。

 

 

持統天皇にとっても、ナガスネヒコはかたきの血統となります。その憎き血筋を絶たせたい思いが『日本書紀』に現れているように思えてくるのです。

 

 

ご自分の人生と、ご先祖である神武天皇を重ねておられたのかもしれません。あの憎きナガスネヒコさえいなければという神武天皇の思いは、夫である天武天皇亡き後、我が子である草壁皇子のライバル大津皇子を葬った持統天皇の行動と重なります。

 

 

その溺愛する草壁皇子が死んでしまった持統天皇の悲嘆は想像するに難くありません。仕方なく自分が天皇に即位するのです。そして実権を握り実際に政治に着手することになるのです。女帝として。

 

 

それまでの天皇は神道の最高祭祀を司る立場にすぎなかったのですが、持統天皇は自らの立場を天皇として確固たる地位にするために身分制度と戸籍をつくりました。そしてお金のなかった時代にお金をつくりました。

 

 

この国のシステムは持統天皇が作ったのかもしれません。

 

長髄彦本拠の碑(筆者撮影)
長髄彦本拠の碑(筆者撮影)

 

でも、もうそのシステムも終焉も迎えます。やっと持統天皇にとっても安住の次元へと向かうのです。やっとみんながよろこびあう時代がやってくるのです。天皇は大変なお役目を担ってこられました。心からのねぎらいと感謝を申し上げたい気持ちになりました。

     

よみがえる藤原京 時を駆けたファイターたち
よみがえる藤原京 時を駆けたファイターたち

 

カプコンさんは、1995年にストリートファイターたちを藤原京にタイムスリップさせて当時の様子を丁寧に教えてくださっていました。

 

 

ストリートファイターシリーズは日本神界の神々からのメッセージを刻印して宇宙から降ろされた創作物です。リュウさんは、バブルがはじけた後の混迷の時代に生み出された、日本魂を目覚めさせる使命を担った偉大なる主人公だったのです。

 

 

どうぞ、今一度カプコンさんが辻本会長様の総指揮の下、日本の地で日本人の手によって制作された大変貴重なアニメーションをあらためてごらんになってみてください。そして持統天皇が手掛けられた藤原京がどんな都だったのか、当時の人々の暮らしに思いを馳せてみてください。

 

 

『よみがえる藤原京』については以前の記事にも書きました。